MEMON

たぶんに嘘が含まれています
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ある生徒との会話
「はい、この"He has a very large vocabulary."を訳してみて」

「先生、ボキャブラリーってなんですか?」

「語彙のことだよ」

「語彙ってなんですか?」

「きみが持ってないもののことだよ」
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スパムとの、戦い
ブロガー共通の悩み、それは、アダルトサイト関係のコメントとの戦い。

以前seesaaというブログサービスを利用しているあいだはあまり被害に合わなかったのだが、この現在のブログにしてからはだいぶそういうコメントをつけられる頻度が多くなった。あれで騙される人がいるとは思えないのだけれど、彼らは懲りもせずわざわざコメントをするのである。

しかし、私も黙ってそれを容認しているわけではない。

そういうスパムコメントがつけば削除するのは当然だが、未然に防ぐための策も張っている。それは禁止ワードという心強い機能だ。私はこれを利用し、代表的なエッチワードを禁止にしている。エッチな単語を含んだコメントは投稿できないのである。

しかし彼らもだんだん熟練のスパムコメンターとしてレベルアップしてきており、先日とうとう、直接的な単語を含まないのにエロいコメントをつけられてしまった。これには弱った。もう禁止ワードじゃ防げないかもしれないと、少し諦めた。だが、私は一つのアルファベットに着目した。それは、「w」である。

ここ数ヶ月につけられたアダルト系のコメントには必ず無数の「w」が含まれている。しかも、ほんものの笑いも時と場合によっては人を不快にさせるように、この「w」も不快な「w」である。私はもういっそ、これを禁止してしまうことにした。

さて、これで状況はどうなるだろう? これでも防げなかったら、もう、リンク禁止にするとかしか方法がないかもしれない。いや、まあ、承認制にすればいいだけなんだけどさ。
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小太りドラゴン
さいきんお腹が出てきた。

家族が来たのが先週だけれども、そのときあの人たちは食べ物を置いてった。たくあん、芋の煮物、ヨーグルト、そして5つのプリンにお菓子。この行動がどのような結果を生み出すか、因果律をご存知の方でしたら容易に察しがつくと思います。

というわけで少し太った。

私は小太りドラゴンになった。

もともと細めのドラゴンでそんなに強そうじゃなかったし火を吐いても弱火でしかなかったが、太ることで私はもっと弱そうなドラゴンになってしまった。勇者が来てもぜったい剣を避けられないし、メラゾーマなんてやられた日にはおいしそうな丸焼きになること請け合い。

いちおう羽は生えてるけども、これじゃあまりうまく飛べない。高いところから飛び降りたらゆるやかに下降してゆき、着地寸前に急いで羽ばたいてなんとか致命傷を避けるという、ほんともう、ムササビ以下のドラゴンに成り果ててしまった。

私だってほんとは体一個で大陸を横断できるくらいのドラゴンになりたい。ジャンボジェット機が向こうからやってきたら火炎で焼き落とすくらいのダンディでかっこいいドラゴンになりたい。最初は憧れてた。

しかし5晩連続でプリンを食べてしまって、お腹の方もまさにプリンといった状況で、ほんとどうしよう? 痩せて、しっかりした一人前のドラゴンにならなきゃ。お嫁さんをもらって、この城の主となって、勇者どもを追い返さなきゃいけない。いつまでも母親に「彼女できないの?」なんて心配されてたのではドラゴンのプライドが許さない。

おれドラゴンじゃねぇけどさ。
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月が太陽を食う
太陽が食われる! 太陽が食われるッ!

22日に太陽が食べられちゃうと知ってパンツ一丁で外を走り回っていたのが昨日の夜。私はパニックになっていた。これまで昼間は必ず遅刻も欠席もなく地球を照らしてくれていた太陽が、あの恵みの太陽が、なんの罪もないのに食べられちゃうというのだから。

眠れぬ夜を過ごし、きょうになった。

あいにく外は雨で肉眼で太陽を確認することはできなかったが、夜と違って雨雲越しに明かりがぼんやりしてるのでまだ太陽がいるということはわかった。9時半頃、ニュースによるとそろそろ部分的にかじられてゆく時刻である。

雲が目隠しになってて分からないけれど、もしかしたら、いままさに、太陽はヘビに飲まれるネズミのように飲み込まれているのかもしれない。そう思うとあの頼りがいのあった太陽のことがとても不憫に思われた。なぜ彼がこのような仕打ちを受けねばならないのだろう。

確かに7月8月の太陽は誉められたものではない。ちょっとがんばりすぎ。けど、地上の農作物やエネルギー、そして人間の生活だって、すべて太陽がなけりゃなりたたない。ちょっと暑いぐらいはぜんぜん許容範囲内である。それなのに、いったい誰が彼に恨みを‥‥‥

ハッ! 月!

そうか、あいつか。とうとう行動を起こしやがったか。

日食とは「日が食われる」もしくは「日を食う」であり、その動作主は実は月だ。あいつ、自分が太陽に比べて目立たないもんだから嫉妬心に駆られて太陽を食おうとたくらんでやがったのだ。それはまるでカエサルへのブルートゥスの謀反、あるいはイエスを売ったユダである。くそっ、月め、地獄で悪魔大王にあめ玉よろしく口の中で転がされるがいいッ!

とキレて涙でぐしゃぐしゃになりながら空を見上げていたのだが、空、そんなに暗くならない。ちょっと暗くなってる気もするけど、太陽の奴はまだそこにいるのがわかる。そんなこんなでだいぶ時間も経って日食が終わる時間になったが、あいかわらず空はぼんやりそのまま明るいままだ。

結局、太陽の奴、無事だったみたいだ。

あいかわらずの曇りときどき雨で彼の無事な姿ははっきり確認できなかったが、持ちこたえたようだ。もしかしたらちょっとかじられたかもしれないが、生存しているらしい。

ほんとうによかった。私はほっと胸を撫で下ろした。きっと月の奴、太陽を食ったら自分も輝けなくなることに気づいて思いとどまったのであろう。

ま、とにかく無事でよかった。
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成績低下
一年ほど家庭教師をしてる生徒がいるんだけど、順調に成績が下がってる。

彼は高校生で、定期的に試験があるからその結果を逐一見てるんだけど、滑り台っぽい感じで点数が悪くなってる。株価かよ、と言いたいところだが成績の方は回復したことがなく落ちる一方でエンロンも5回くらい破綻してる。

しかし不思議なもので、ふだんの授業はちゃんと受けているのである。私の話もちゃんと聞いていて、それなりに受け答えをしている。教えている感覚から言えば、60点とはいかないまでも、50点前後はいけそうな雰囲気があるのだ。なのになんだおいその靴のサイズみてぇな点数は。

もちろん彼の学力が一向に上がらない‥‥‥というかだだ下がりしてる責任の一端は家庭教師の自分にある。けど、いかんともしがたい事実ってのがあって、地球の環境は破壊されているし、某国のミサイルはこの国に向けられているし、景気は回復しないし、生徒は学習内容を習得してくれないのである。

この窮地を脱するための方策はないものだろうか?

いや、あるはずだ。

その答えは、異性である。

人間を駆り立てる欲望を利用しない手はない。これまで教師たちは欲望を抑えて学生を勉強させようとしたため、常に失敗してきた。いわば学生たちは、大人たちがつくりだした「欲望対学問」という根拠なき対立図式に欺かれた被害者だったのだ。いまこそ学問の場に欲望をエネルギー源として導入し、欲望と学問の幸福な結婚を実現せねばなるまい。

話はかんたんだ。

異性の家庭教師と生徒を組ませ、生徒が教師に憧れを抱くように仕向ける。すると、生徒は勉強がきらいであっても先生に気に入られるようにするためがんばって勉強する。成績、ぐんぐんアップ。みんな幸福。幸福実現。という寸法である。

だからもう基本的に家庭教師は異性にするっていうのを業界の通念にしてしまって、思春期特有の欲求を逆手にとって利用すればいいのだ。そしたらもう成績推移のグラフとか、ぎゅいーんって上がるはず、卑猥なほどに。

あと、教える側としても女子の生徒の方がやる気出るしかわいい子なら時給200円でも‥‥‥っていうか逆にこっちが払ってもいいくらいで、仲介業者としてもうまいお話でしょ? え? ああ、ぼく、首ですか? はい、そうですよね。
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豆知識
ソフトなエロ本を買って本棚のすぐ見つかる場所に置いとくと、女の子たちが部屋に遊びにきてエロ本捜索をしたときに盛り上がるから便利だよ! ぜひ試してみてね!
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不思議の都、京都
週末は家族らが京都に来て、ふだん部屋で王道ラブコメ少年漫画ばっかり読んでるぼくも京都観光にいってきた。

大覚寺にて。

「見て見て清水くーん! ほら、川にカニがいるよ」
「清水くんこっちこっち。カエルが顔を出してこっち見てるぅ」
「清水ーっ、いいからはやく寺ん中いこうぜー」

って、社長令嬢のA子とやきもち焼きのB子と男みたいなC子に連れまわされて袖引っ張られてもうたいへん。ぼくの恋の行方はいったいどこへ? なんてこと妄想しながら寺を巡る。仏ももうあきれ顔でこっち見てた。

大覚寺はでっかい池があってその近くが涼しくて快適である。30分に一回くらいそこからダイカクサウルスがざばーっと出てきてその50メートルに達する巨大な姿は一見の価値あり! って坊さんが興奮しながら袈裟を乱しつつ話してたんだけどこの日はダイカクサウルスの飼ってる犬が死んだ直後でめっちゃ落ち込んでるから池の底にひきこもってるまま出てこず見ることができなかった。

「ざんねんね。清水くん、またこんど二人で来ようねっ」
「なに言ってるのよ。清水くんはあたしとまた来るのっ!」
「だめーっ! おれの清水を取るなー!」

ちょっとなんであんたの清水くんなのよー! 清水くんはあたしのものよー! おいおいちょっと落着いてくれよ、またみんなで来ればいいだろー、なんてなだめつつ、次は祇王寺とか渡月橋に行った。

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祇王寺は庵みたいな場所で、じめっとした林の中に苔がたくさん生えてて、踏んづけたら「おい、痛いやんけ。どけや」と甲高い声で怒られた。

「すごーい、この苔しゃべるんだ!」 と、興味津々のA子が言う。
「いいから足どかせやネェちゃん」
「わー、もっとなんかしゃべってー!」
「うっさいわ、お前らかてしゃべっとるやろ」

と今度は苔と喧嘩がはじまる始末で、とてもぼくの手にはおえない。

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渡月橋にゆく途中には竹林があって、竹がにょきにょきとたくさん生えていた。そんだけあるもんだから道行く最中「ほら、あそこ!」「あっちも!」って感じでかぐや姫を7匹くらい見つけてしまった。が、あいにく鉈ものこぎりも持参してなかったためそのまま通過。

渡月橋では月からの使者待ちの成人かぐや姫が15人くらい行列をつくっててふだん見れない光景にぼくたちは感動してしまった。それを見送る育ての爺さん婆さんも都合30人いて、でもこんだけ同じ境遇の人がいるとちょっと悲しみも薄れるのかそれほど感動の別れって雰囲気もなく月から来たバスに15人のかぐや姫がぞろぞろ乗り込んでゆくときにも爺さん婆さんたちはけっこう冷静で、遠足にいく孫を見送るみたいな感覚だった。聞いた話だと、むかしと違っていまは月からも1時間に一本バスが出てるから気が向いたらすぐ地球に戻って来れるんだとか。


翌日。

上賀茂神社と下鴨神社に行こうってことでバスにライドオン。上の方についたらまず小川で足を冷やして極楽気分に浸り、それから白いペガサスがいたから一回500円でちょっと乗らせてもらい上空からの京都を楽しんできた。(母は高所恐怖症なので乗らなかったが)

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京都は上から見るとやっぱり碁盤の目っていうか将棋の盤っていうかマインスイーパーみたいになっててこの中に相当量の●にトゲの生えたヤツが埋まってると思うとこれからの生活がやや不安になってくる。これからははこまめに旗とか「?」のマークをつけてゆこうと心に決めた。

「清水くん、やっと二人きりになれたね」とぼくの腰に後ろから手を回しながら言ったのはA子で、ペガサスに乗る前、3人でジャンケンをしてA子が勝ったのである。

「このままどこか遠くに逃げちゃおうか」
「それはまずいよ。これ、借りてるペガサスだし」
「あたしと逃げるのがイヤなの?」
「別に、イヤじゃないけど‥‥‥」

なんで、しどろもどろになってると、急にA子のテンションががた落ちしてしまって、ぼくはそのフォローで焦ってしまい、またしどろもどろである。神様、この優柔不断なぼくの性格を直してください。って上賀茂神社の神にお願いしたら「自分でなんとかせぇや。男やろ」とキレられた。神たちに総スカンを喰らう日も近い。

下鴨神社の方ではちょっとしたお祭りをやっていた。みたらし祭といってみんなでみたらし団子をたらふく食べる、という3000年の歴史を持つ京都の伝統ある祭だ。ぼくたちもみんなでみたらし団子を食べた。甘かった。B子はそそっかしいところがあるのでみたらしのたれをTシャツにべっとりとたらしてしまっていた。

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下鴨神社の上の方から入ってそのままなんとかの森をザコキャラを倒しながら下へ歩いてゆくと鴨川のデルタ地帯に出る。このデルタ地帯は二つの川がまじわって一本の川に合流する点であり、古来より生命発祥の地の一つと言われている。二つの川が一つになるときなんか弁証法的な化学反応っぽいのが起こって人とか犬とか草とかが出てきたのである。なにが生まれるかはその日の川の成分によって変る。この日はちょうどザリガニが生まれる日、だったみたいで、鴨川にはいくらかザリガニがいた。

そういう生命誕生の瞬間を見ていると、ふと、ぼく自身はどこから生まれてきたのだろうという疑問が頭をよぎった。24年前にコウノトリが運んできたということは知っているが、どこから運ばれてきたのかはよく分からない。なんとなく南の方から来たんだろうと思っていたが、根拠はまるでない。ひょっとしたら、京都のこの鴨川デルタで生まれて埼玉に運ばれて行ったのかもしれない。そんなことを考えていたら、自分の生まれた場所さえ知らない自分はいったいなんなんだろうと、自分の無知に驚きすら感じてしまう。

三角コーナーから川岸へはでか目の亀の甲羅をふんづけて歩いてゆく。亀とはいえ動くのでタイミングを逃すと次の亀に近づくまでかなり待たなければならないが、ここの亀は大人しくてほとんどしゃべることもないためまだ楽である。

「清水ー、待ってくれよー」

と後ろから情けない声で呼ぶのはC子。ボーイッシュキャラのくせに飛び抜けて運動神経が鈍く亀から亀へ飛び移るのにだいぶ近くならないと飛べないのである。

「ほら、跳べ! いけるって」
「いけねーよ。遠いもん」
「暑いんだから川に落ちて濡れてもすぐ乾くよ」
「ひどい! おれが落ちてもいいって思ってるんだ! ひどいッ!」

ああもう、待っててやるから。なんてなだめつかしつつ、かなり時間をかけて岸まで渡った。


多少はしょったけれど、だいたいこんな感じの週末を過ごしました。たまには観光してみるのもいいものです。次こそはダイカクサウルスを見たいと思います。さて、しかし、いったい誰といっしょに行ったらいいものやら‥‥‥。
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あると思います
きょうの夕方、私は服を買いに、ぶらりと大きなデパートに行った。

ちょうど大学を軸にして自宅と正反対にあるそこは、以前少し立ち寄ったことがあるだけの場所だったが、ふとコムサイズムが一階にあったことを思い出して、自転車を10分ほど漕ぎ、やってきた。

地下が食品売り場、1階が主に女性用の衣類売り場とスターバックスなど、そして2階が男性用の衣類売り場と雑貨屋と楽器売り場と本屋と靴屋などなどがあり、もりだくさんのデパートである。4階より上は駐車場で、売り場はその3階分だけだが、一つの階が広いので全体として巨大なデパートである。

こういうところにくると、とてもわくわくする。しかもここはまだ作られてから日が浅いのか、エレベーターはぴかぴかで、床もきれいだ。真ん中は吹き抜けになっていて、机と椅子がいくつか置かれていて、外国人の夫婦や子ども連れのお母さんなんかが休憩している。

セール中のコムサでMサイズのTシャツを3枚買って、それから他の服屋をぶらぶらして、楽器コーナーで電子ピアノの安さに驚いて(3万円台のものがあった)、本屋をちょっと通過し、もう一度ぐるっフロアを一巡りした。

「ここには世界のすべてがある」と私は思った。

服も、楽器も、本も、雑貨も、食べ物も、飲み物も、すべてが揃っている。しかもお求めやすい値段で。このデパートという箱はまるで世界をぎゅっと縮めて一つの箱にしたみたいで、私は少し歩くたびに地球のまったく別の地域に来たみたいな気がして胸が踊る。

1階のスターバックスを覗くと、若い人たちが、わりとぽつりぽつりと一人ずつ座っていた。本を読んだり携帯を触ったりしていた。その一人一人はきっと、いや確実にその人の人生の主人公なのであり、その人生は長く豊かな物語で、各人各様のストーリーが今現在紡がれているので、私はその人たちを見てわくわくしてくるのだ。一人の人間の生の人生は、本のように読むことはできないけれど、遠くから少し見るだけでも楽しいもの。

それから、私は夕ご飯が部屋にないことに気づいたので、地下の食材品売り場にいってみた。ここもフロアが広くて、いろいろな食べ物が、その四角い空間に無数に集まっている。そこでサンドイッチと、冷凍のカレーうどんと、冷やし中華と、爽健美茶を買った。

レジに並んでいると、すぐ後ろに同い年か、少し下くらいの女の子がきた。黒ぶちの眼鏡をかけた黒髪の華奢な体つきの人だった。きれいな人だったので少し気になったけれど、あまりじろじろ見ると申し訳ないから遠慮して、私はエスカレーターで地下から1階に出た。

で、自転車置き場まで、コムサの前を通って歩いていたのだけれど、別のエレベーターにのってその子はまた現れた。今度は互いに向き合う形だったので、私は彼女の顔を、一瞬だけれどじっと見た。すると目が合った。

そのとき、「あると思います」という天津木村の言葉が脳裏をよぎった。

急に、好きでもなかった芸人のネタが、頭に浮かんできて、なにか強い印象を私に与えた。別に、それまでさしておもしろいとも思わなかった「あると思います」が新しいインパクトを持って私に迫ってきたのである。

私は彼女から目線を逸らし、そのままデパートを出た。彼女も私のすぐ後ろから来て、自動ドアを出た。私は自転車のカギをはずしながら、やっぱり少し気になってまわりを見てみると、彼女は原付のシートの部分を開けて、買った荷物を入れてるところだった。私は自転車にまたがり、そのあとはもう彼女のことを見ずにすっかり暗くなった空の下、真っ黒な鴨川の横を自宅に向ってペダルをこいだ。

しかし、さっきの「あると思います」はなんだったのだろう?

私はゆっくり自転車をこぎつつ、考えてみた。もしかしたらあの言葉には深い意味があるんじゃないかという気がしてきて、考えてみた。そして、こういうことに気づいた。

「あると思います」という言葉は、人間が生きてゆくために必要な幻想なのだ。

この言葉の「思う」は、限りなく「信じる」に近い。ただの"think"ではなく、"believe"、もしくは"believe in"なのだ。なにかが「ある」、なにかが現実のものとして「存在する」ことを「私は信じる」という、信念の表明なのである。

人は厳しい現実だけを直視していたら、生きてゆくことはできない。生にはいつでも希望が必要不可欠である。さらにこの希望はただのオプティミズムではなく、現実を改変し改良する力を持ったなにかなのだ。

なにかよいものが、よりよきものが「あると思う」などと言うと、その人はこの現代社会においては往々にして否定的な意味での理想論者というそしりを受ける。しかし本来、現実を超えた、現実を乗り越えるための希望というのは、空虚な思惟の戯れではなく、むしろ現実を改変してゆくための不可欠の契機ではないだろうか?

現実の乗り越え、あるいは改変。それは常に非現実的な歩みであって、言うなれば奇跡の積み重ねである。ときには大きな奇跡が、ときには小さな奇跡が私たちの現実を変えてゆく。その奇跡への期待が希望と呼ばれ、私たちの生のよすがとなっているのである。

希望を持つのをやめたとき、私たちは絶望の底に突き落とされるだろう。そして残酷なほど合理的で、それなのにカオスの様相を呈する現実が私たちを包むだろう。人はただ合理的なだけのものではなく、ありえそうなことではなく、その先に、ありそうもないことを希望しなければならない。とてもありそうもないことに対し、「あると思います」と言い切る力が必要だ。それは虚しい妄想ではなく、実質を新しく作り上げてゆくための最初の一歩である。

現代人が忘れがちな「信じる」ということ、それが持つ力、それが、天津木村の「あると思います」という一言に見事に集約されている。私は、この言葉に励まされて、信じる力を持とうと思った。
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この人の閾
保坂和志の『この人の閾』を買った。

プチ保坂ブームが到来してこの人の本を読んでるのだけれど、この本は絶版になっていた。ハードカバーのも、文庫のも、注文できない状態になっていた。そこで「日本の古本屋」というサイトの登場。その名の通り、日本全国のかなりの数の古書店がこのサイトに登録しており、ちょちょいと書名や著者名を打ち込むだけで絶版になったものでも検索できてしまうのである。

そこでこのサイトに飛び、書名のとこに『この人の閾値』と打ち込んでから「値」をdeleteして検索。(こうしないと閾ってなかなか出ないんだよ。ほら、やってみ? 10個目よりあとだから)

そんで800円ほどで購入。これが3日ほど前。今日、その目当ての品が送られてきたというわけだ。

わくわくしながら茶封筒を開けるときれいな単行本の『この人の閾』が出てきた。帯までついててまるで新品である。と思ったら帯ははさまってる部分が破けていたから捨てて、中を開いてみる。

すると、そこには一枚の写真が挟まっていた。

写真の表の面が書面に張り付いてて、なるほど、降ってもぜったいに落ちてこないようになっている。前の持ち主がしおり代わりに使ってて、そのまま忘れていたのだろう。パリパリパリと、写真を剥がす。すると、その表には、おっさん3人が弁当を食べている情景が。

やけに豪華な弁当を、いざこれから食べようという瞬間の写真だ。しかし、3人のおじさんたちは弁当を見てて、カメラをまったく意識していない。撮影は1995年となっているから、もう14年も前の写真だ。いったいこの人たちは誰なのだろう?

おそらく、この答えは『この人の閾』の本文に隠されているのであろう。そして、「閾」ってなんなのか、という謎もきっと本文中で解かれてゆくはずだ。
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möbus
本日、じゃんじゃんばりばり、浪費の日。

この前久しぶりに奨学金が入ったため、今日は溜まってた支払いを済ませたり買物をしたりしてきた。

まずは8月から2ヶ月間住むドイツの宿泊代の一部を振り込もうとした。が、これが一苦労。南都銀行に行ったら通帳がないとできないかもとか言われたり書類をぜんぶ書いたあとで「ここ書き方違うんでまた別の用紙にお願いします」とか言われたりして、結局担当者自身やり方がよくわかってないという結論に至り私はそこを飛び出した。

どうしたら海外送金が出来るのか、という謎に立ち向かう勇者が生まれた。それがおれ。私は村人たちに話しかけてまわり、「そういえば新生銀行はええ銀行じゃよ」という老人の独り言のような発言を聞いて新生銀行へ向った。

「ただいま込み合っておりますのでこちらでお待ちください」

と受付の女性に言われ、私はふかふかのソファでHPを回復させながら待つこと10分。

「勇者さま、こちらへどうぞ」

「海外へ送金したいんですが」

「はい、かしこまりました。ではキャッシュカードをお預かり致します」と言うので私はカードを手渡した。するとパソコンの画面をみながら女性が「住所を変更なさってないですか?」と言った。実際私は新生銀行でカードをつくったあと引っ越しをしていたので、ここで住所変更という魔物が出現し私は戦うはめになった。

しかしその程度の低レベルモンスターは朝飯前である。しかも今は受付の女性という心強い味方もいるのだから。が、このあとが問題だった。

「住所変更が済みましたので、こちらをお読みください」

そこには海外送金についての注意が書かれていた。その中段あたりの部分に、手数料が一件につき4,000円と書かれていた。よよ、4,000円!?

「これ、4,000円もかかるんですか!?」
「‥‥‥はい」
「高いですね」
「ええ。でも‥‥‥実は、郵貯に行くと2,000円くらいでできるんです」

まじで?

私は新生銀行を去った。そんなもん、最初に要件を聞いて、そんときにすぐ言ってくれよと思った。どうせ言うならさ‥‥‥。私のドラクエ9はここでまた振り出しに戻ったわけだ。

郵貯に行くべし、ということはわかったものの、最寄りの郵貯がどこにあるかわからない。もし近くにあるにしても、小さいところだった場合やり方がよく分からない人しかいなくて南都 fuckin' 銀行のときの二の舞を踊ることになる。

しかしezwebに表示された情報しか手がかりはなく、私はそれをたよりに歩いた。途中、ドラキー5匹、スライム8匹、リップス4匹を倒し、レベルも1か2上がりつつ歩いた。

ざっざっざ。

「いらっしゃいませー」と言って局員が迎えてくれる。

「すみません。海外に送金したんですけど」

「それでしたらこちらの窓口へどうぞ」と、手で奥の窓口を示してくれる。

「北朝鮮に核の開発資金を送りたいんですけど、大丈夫ですか?」

その瞬間、局員の表情が一変して、すぐに警察を呼ばれ、入店から5分と経たず、私は警察署にパトカーで連行されてしまった。ちょっとした冗談のつもりがこんなことになるなんて、と私は連日続く恐喝まがいの取り調べに疲れ果て気力を失っていた。ただドイツに宿の料金を送りたいだけだったのに‥‥‥。でも、それをいくら言っても、彼らは信じちゃくれないんだ。

そんなこんなで夕方になる頃には14日くらい経っててうんざりしたんだけれど、なんとか郵便局で振込の手続きは完了した。こんなドラゴンクエストは二度とやりたくない。ドラゴン出てきてねぇしさ。

このあとはまずメガネを買った。かなり長時間悩んでしまったが、最終的に紫色でカクカクしたやつを買った。紫色は魔除けの色だからアンデッドからの攻撃が30%カットできるのである。

次にOPA(ドイツ語で「おじいちゃん」という意味)という若者向けの総合洋服屋に入った。いつもならこんなおしゃれなところ怖じ気づいて入れないが、リンクに勇気をもらったから今日はなんとか入れた。

鞄ばかり置いてる一角に足を踏み入れ、私はいろいろ物色していた。

「こちらがですね」と早速店員のお兄さんが声をかけてくる。「汚れがつきにくくて雨をはじく素材なんですよ」

見ると、möbusと書かれていた。

「モーブスっていう、もともと靴を作っていた会社なんですけどね」

なるほど、見るとタグにドイツ語が書かれていて、ドイツの会社である。

「ドイツのメーカーですね」と私が言うと、

「いえ、靴のメーカーですね」と店員が言った。

「えっと、ドイツのメーカーですよね」

「いえ、こちらはもともと靴のメーカーです」

なるほど、靴メーカーならドイツのメーカーではないはずである。私が馬鹿だった。モーブスは靴のメーカーであってドイツのメーカーではない。

しかし気になるのはmöbusという名称。oの上にウムラウトという点々があり、明らかにドイツ語である。店員はモーブスと言っていたが、正しい発音はメーブスのはずだ。私はそんな小さな疑問を抱いたが、ドイツのメーカーじゃないしどっちでもいいやと思った(ほんとはドイツのメーカーだけど)。結局、möbusの黒いリュックを買った。

そんなわけで、今日はさまざまな冒険を繰り広げ、たくさん物を買った。いま書いた以外にもユースホステルの入会とか書籍の購入とかもあったんだけどめんどいので省略。もし詳しく知りたい人はドラクエ9を買おう!
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アダムとイヴ
神は自分に似せてアダムをつくった。次に、アダムの肋骨からイヴをつくった。

ある日、イヴは蛇にそそのかされて善悪の知恵の実をガブリと食ってしまう。

「今けぇったぞ。おい、アダム! イヴ! どこさ行っただ?」と神が二人を探す、が、二人は自分が裸だということに気づいて腰にイチジクの葉っぱを巻いて神から隠れてしまう。

「アダム、イヴ。怒らねぇから出てこい」

と神に言われて二人は出て行くんだけど、結局怒られて、アダムは言い訳をする。

「だって、イヴが食え食えって言うから‥‥‥」

「そうなんか、イヴ?」

「でも、あだしだって蛇の奴が食えって言うから食っただけでぇ」

ほんとうに知恵の実を食ったのかと問いたくなる幼稚な言い訳でその場をしのごうとする二人だったが、厳格な神がそれを許すはずもなく、彼らはたくさん木の実がなっていた天国のようなエデンの園から追放されてしまう。

それからまた神とのあいだに確執がいろいろあって人類の歩みは連綿と続いてゆくのだけれど、この創世記のはじめの方、いまズーズー弁バージョンでお送りした記述のもっと前の方に、こんな一節がある。

「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(2章24節)

つまりアダムがイヴと結ばれた、っていうことなんだけど、これ読んで思った。アダムって、父親と母親おったんかい。

いや、てっきり土からアダムが作られて、これがいちばん最初の人なんだと思い込んでたんだけど、おったんかい、両親。意外すぎるわ。

しかも、このあとの方でアダムとイヴがカインとアベルという兄弟をもうけ、カイン&アベルのコンビ名でM-1めざすんだけど方向性の違いから憎しみが生まれて兄カインが弟アベルを殺してしまう。当然、カインは師匠(神)に破門されてつらい運命を課せられることになる。で、それでもカインはイケメンだったのかなんなのか分からないが、妻をもらうことができて、生きてゆくのである。

妻。

そう、妻になる女がいたってこと。ってことは、アダムとイヴ以外にもいっぱい人はもういたってことだ。聖書ではアダムとイヴだけが特別扱いされてページさかれてるけど、他にもその他大勢の人がいたのである。

聖書から読み取れること。それは、悪いことをして目立てば歴史に名が残る、ということなのかもしれない。
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カンバセイション・ピース
保坂和志って人の、『カンバセイション・ピース』、略してカンピーという小説を読んでいる。

びっくりしたんだけど、この小説はほとんど認識論である。ストーリー? プロット? なにそれおいしいの? っていう顔をしている。ほぼ全編、これといったストーリーのないまま話が500頁近く続くのである。主人公のおっさんがホースで庭に水をやるシーンで、おっさんがああでもないこうでもないと考え、気づいたら40頁過ぎてたりする。

ほとんどもう、人間の思考の軌跡を限りなくそのまんま描写してみました! ってシーンばかり。こっちとしては外からそのストーリーを見てるんじゃなくて、登場人物の脳に直接入ってそいつの頭の視線にお邪魔させてもらってる感覚になる。

近代のある時期から哲学者たちが人間の認識の謎に迫ろうってことで考えまくって馬鹿みたいに本を書いたのだけれど、カンピーはそういう哲学的認識論ほどではないにしても日常的なレベルでの人間の認識作用とか思考作用について詳細に述べている本で、他の作品にはない醍醐味がある。

もうほぼ終盤まで読んだんだけど、なに一つストーリーに進展がない。ただ主人公のおっさんが昔のことを思い出しつつぐだぐだ小難しいことを考えて、野球を観に行ったり庭に水をやったり猫と遊んだりするというその繰り返しである。人も死なないし恋愛沙汰もないし濡れ場もないし、出来事っつったらちょっと熱を出して寝込んだり墓参りに行くくらい。

ふつう、小説はストーリーを描く。ストーリーだから、ある程度、整理されてて、意識化されてて、理路整然としてて、パターンがある。が、この小説はそこから一段降りて、生に近い意識を書いている。図式化されていない認識をそのまま書いてみました! って感じ。

で、一つ思ったんだけど、人間の認識にはまだまだ分からないところがあって、ふつうはそこが覆い隠されている。すでに出来上がった認識の認識、っていうか認識についての型があって、いつもはその型を通して認識作用を理解したつもりになってる。けどその型は実は数ある中の一つでしかなくって、誰かがつくった既製品でしかないのかもしれない。手作りチョコって言ってるけどそれ「手作りチョコ作成キット」で作っとるやんけっ! というツッコミが入るべきものかもしれない。

けどカンピーはもうカカオを取ってくるとこからはじめてる。いや、なんならカカオを植えて栽培するとこからやってる。結果的にみんなが知ってるきっちりした板チョコとかチョコボールになってなくてただの黒い塊みたいなチョコになってて女の子が2月14日に男の子に渡したらちょっと引いちゃうかもしれない外見なんだけど。

でも、私はけっこう好きです。
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破:2回目
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破、2回目みてきた。

1度目はやや左後ろの席でみたんだけど、今回は右前あたりの席でみてみた。やっぱり2度目ともなると細かい絵やセリフ、ストーリーまで気がつくし、初見とは違う。登場人物たちもだいぶ演技がこなれてきて、アドリブも織り交ぜつつの展開であった。あと、前の方に座ったために前回は見えなかったアスカの秘部が見えたりした。ほら、湯上がりキックのとこでさ。

そんで、思ったのは、やっぱり映画館はすごいってこと。この前テレビで序をみたときは「あれ、こんなにしょぼかったっけ?」っていう印象が拭いきれなくて、まあ、アナログ14インチくらいの画面でみたから当然っちゃ当然なんだけど、少し残念で、それと比べると劇場のスクリーンと音響たるや! すごいや!

ちなみに、公開からもう2週間くらい経っただろうけど、かなり人が入ってた。満員に近かった気がする。こんだけの来客があれば相当な収入が見込まれるはずで、次回作はきっと大盤振る舞いでヱヴァが100体くらい出て綾波もゲラになっててアスカなんか放映コードぎりぎりの罵詈雑言をシンジに吐いてシンジはシンジで強気に出て4股かけたりして終劇、になったりするんだろうな。
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村上春樹作品を斬る
村上春樹の作品が大人気だ。

先頃発売された『1Q84』という新作は飛ぶように売れ、夕暮れには日本全国で西の空に『1Q84』の群れが見られるというニュースがしきりに報道されているという。

ふと、これまでの人生における村上春樹との関係を思い返してみる。

まず『ノルウェイの森』という作品を、まだ幼い頃に書店かどこかで見かけたことがある。タイトルから推測して、おそらくノルウェイの森のことが書かれているのだろうと思ったが、あいにくノルウェイにも森にも関心が薄かったため、手に取ることはなかった。

次に『ねじまき鳥クロニクル』という小説を知った。これもたぶん、他の漫画かなにかを買うときに、ふと書店で見つけたのだろう。しかし『ノルウェイの森』に比べてこの本は難解であった。「ねじまき鳥」がゼンマイ式の鳥であることは自明だとしても、その後のクロニクルの意味がわからない。最後の「クル」によって「くるくる」という擬音が連想され、ゼンマイ式の鳥がくるくるまわっているイメージが頭に浮かんでくるが、何百頁もゼンマイ式のバードがまわり続ける作品には興味がわかなかったのでこれもスルーしてしまった。

それから、またしばらくして、高校生のとき『限りなく透明に近いブルー』という作品に出会った。これはタイトルの中にわからない単語もなく、その頃の私が薄いブルーが好きだったこともあって、ようやく購入に至り、実際に読んでみた。

読んでいる最中はそれなりにおもしろかったが暴力的な描写が多く、私はかなりがっかりしてしまった。こういう作品を書く人なのか。ならもう二冊目はいいや。さようなら、村上春樹。と思った。が、よく見てみると作者は村上春樹じゃなくて龍の方だったので、ここで村上春樹との接触は振り出しに戻ったわけだ。まだ一コマも進んでないけど。

それからさらに時は流れ、たぶん、もう大学に入ってから。私は『海辺のカフカ』という作品を知った。上下二巻の長い小説である。カフカ、変身、巨大な芋虫、という連想ゲームとこのタイトルのせいで、なんだか海辺にいる気持ち悪い虫を勝手に連想してしまったが、そろそろ村上春樹との付き合いも10年になるので1行くらい読んでみようかと思い、本屋の入り口に平積みされていたそれを手に取り、ぱらっと頁をめくってみた。

するとそこに書かれていたのは露骨な性描写であった。おいおい、また龍の方と間違えたのか、と思ったが確認してみると春樹だった。私はそういう本はあまり好きじゃなかったので、本をパタンと閉じて元の場所へ戻しておいた。遅過ぎるファースト・コンタクトであった。

さて、2009年。ノルウェイの森で繰り広げられる動物たちのどたばたコメディを書いたりゼンマイ式の鳥が回転するという奇妙な小説ばかり書いていた村上春樹が、また新しい小説を出した。『1Q84』である。数字の「9」(キュウ)とアルファベットの「Q」(キュウ)をかけた粋なギャグが期待をかき立てずにはおかない。

私は大学生協の書籍部で、適当にページをめくってみた。すると、だいたいこんな主旨のセリフが書かれていた。

「4Pって興味ある?」

その瞬間、私は叫んだ。

「またセックスかよ!」

私の声は書籍部に響き渡った。なんならエコーしてた。

『海辺のカフカ』を立ち読みしたときから数年、セカンド・コンタクトはまたしても性に関する文章だ。「4P」とは何かということは、小学生にも安心して読ませられるブログをめざしているため説明をひかえるけれども、とにかく、卑猥なことである。もはや私の中では村上春樹はエロのイメージに染まり尽くしてしまった。村上春樹はエロい。エロ上春樹である。『1Q84』というタイトルも、なんだか「1」の部分が男性器に見えてきた。

いや、もしかしたら、村上春樹は、性的なこと以外も書いてるのかも知れない。上下巻の中で、どこか1頁くらいは、そういう描写がない頁もあるのだろう、きっと。しかしそれにしてもわずかな期間でこれだけ『1Q84』が売れるなんて、世の中はどんだけエロい人ばかりなんだと、驚かずにはいられない。
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序:TV ver.
ヱヴァンゲリヲン新劇場版の序を、金曜ロードショーでみた。

私はどうしてもみたいテレビがあるときは漫画喫茶にゆくのだけど、今回、それが三回目となった。映画館でもみたのだけれど、テレビ版は多少変更があるということで、初級者といえどヱヴァヲタへの一歩を踏み出した私は見逃すわけにいかなかったのだ。


(以下、ネタバレしてますので見ていない人はお気をつけ下さい)


まず、いちばん大きな劇場版との違いはシンジ(主人公)のしゃべり方だろう。

巨大な戦闘兵器ヱヴァンゲリヲンの前に、なにがなんだか分からないまま連れてこられた14歳の少年、シンジ。訓練も何も受けていない自分の息子に、ゲンドウは冷たく命令する。

「お前が乗れ、シンジ」

「こここんなもん、よう乗らんわ!」

ヱヴァに乗ることを拒絶するシンジ。そんなシンジを見限ったゲンドウは大ケガを負っているレイを呼ぶ。が、全身包帯でぐるぐる巻きになり、しかも使徒(敵)の攻撃の振動で出血するレイ。それをみてドン引きするシンジ。

(逃げたらあかん逃げたらあかん逃げたらあかん‥‥‥)

「‥‥‥わてが、乗ります!」

劇場版では標準語だったが、今夜のテレビ版では全編こてこての大阪弁である。また、この新設定に合わせてなのか、ヱヴァ初号機のカラーリングが黄色と黒のシマシマに変更されていた。


声という点でいえば、ミサトさん(大人の女)の声優がかわっていたことも特筆に値する。まさかあのセクシーなイメージのキャラクターに大山のぶ代を起用するとは思わなかった。

しかもシンジと同居しているあいだ中ずっとあの声でシンジを誘惑しようとするもんだから、こっちとしては興奮していいのかどうかすごく微妙な選択を迫られた。


そう、テレビ版では何を血迷ったのか、ちょっとエッチな演出が随所に盛り込まれていたのだ。レイがプラグスーツに着替えているシーンではあんなところまでくっきり見えてしまうなど、地上波で放送していいのだろうかとこっちが不安になってしまうほど。あと、エントリープラグがヱヴァ本体に入るとき、前は首筋のところからだったのだが、今回は下半身からである。この様子を見るたびにゲンドウがにやりと笑っていた。が、こっちはドン引きである。


使徒(敵)の仕様も若干変っている。特に、前はブルーの水晶みたいな形だった使徒は、テレビ版では叶姉妹の姉、叶恭子である。

「美香さん、どこにいらっしゃるの?」

第三新東京市を襲撃する恭子。

シンジが初号機に乗り込み撃退に向うが、恭子の目から発せられるビームで腹部を貫かれ、あえなく撤退。

恭子の強さと胸の大きさに驚異を感じたミサトは「ヤシマ作戦」を計画する。「恭子は牛乳を大量にあびると溶けて死ぬ」という分析結果を信じ、全国の乳牛から乳を絞り巨大な水鉄砲に詰めてヱヴァで発射するという大規模な作戦だ。

「またあれに乗らなあかんのか。ほんま、かなわんなぁ」

ヱヴァに乗るのを拒絶するシンジだった。が、しかし、ミサトの懸命なピロートークにより、再度初号機に乗ることを決意する。

ヤシマ作戦、決行。

全国から集められた新鮮な牛乳が水鉄砲に充填され、初号機に乗ったシンジは恭子に標準を合わせる。

「美香さん、私の口紅がないのよー」

ズガガガガガッ!

目からのビームで無数の砲撃をいとも簡単に防ぐ恭子。しかし、それはヤシマ作戦のための目くらませである。そんな中、シンジの乗る初号機が標準を合わせ、牛乳発射。白い液体が勢いよく飛んでゆく。それを見て怪しく笑うゲンドウ。

恭子は悶え苦しみながら溶けていった。

さて、作戦はうまくいき恭子を撃退したレイとシンジだったが、レイの乗る零号機は恭子が反撃のために投げたイージス艦に激突し、パイロットであるレイ自身も負傷を負う。

「綾波はん!」

初号機を降り、レイを助けに向うシンジ。エントリープラグの中で体を震わせているレイ。

「綾波はん! よかった、無事やったんやな」

「ごめんなさい。こういう時、どんな顔すればいいか分からないの」

「笑えば、ええんとちゃうか」

綾波の笑顔は、かなりひきつっていた。
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反社会的
ピピピピピピピピん、なんかうるせピピなおいピピピなんだこれピピピピベッドの横ピピああもうピピピうるせぇピッ

‥‥‥ピピピピピピピまたかよピピピピなんなんだよいったいピピピピちくしょう黙れピッ

‥‥‥ピピピピピピ死ねピッ

しばらくして、意識がはっきりしてきて、ここがどこで自分がだれだか思い出す。ふとベッドの横を見ると白くて四角い物体がある。文字盤と、浮き出る黒い針。えっと、なんですか? 10時30分。10時30分ってことは、あの、9時を過ぎて‥‥‥ハッ!


以上、実況中継風に朝の一幕を描写してみたけど、俗にいうところの寝坊。どうしようもないくらい、字義通りの寝坊。しかも、今年度初の欠席という失態である。

たしかに前日から嫌な予感はしてた。8時に目覚ましをセットしつつも、自分の翌朝の起床能力に関してまったく信頼感はなかった。一週間ほど続く微妙な体調不良のために、私は「起きる」ことに関して自信を喪失していた。

たとえるならアホなライオンの子を谷底に突き落とすときの親ライオンの気持ちである。

(ああ、どうせこいつ突き落としても這い上がって来れないんだろうなー‥‥‥)

なんつって、自分の尻尾を追いかけ回すハナ垂れ子ライオンを前足でひょいと落とすライオンの心境と瓜二つ。「どうせ起きられないだろうなー明日の朝の自分」と思いつつ昨夜の私は目覚ましをセットしていたのだった。

けれども、それにしても目覚ましを止めてるくらいだからある程度目は覚めているはず。なのにそれを止めてなおも眠り続けてしまう自分はなんて反抗的なんだろう。尾崎豊の生まれ変わりなんじゃないかと疑ってしまうほど限りなくファック・ザ・体制。腕時計を投げ捨てるイージーライダーさながらに、私は目覚まし時計の電子音を止める。

これが、おれなりのロック。
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ジャンクフード
ある授業の終りに、私は友人たちとしゃべっていた。

「ハモってさ」

と友人Aがいった。それから、BもCもハモの話をしていた。そんで、京料理がどうのとか言ってた。私が聞いたこともないような食材や料理の名前も、彼らの口から飛び出して西の空へと消えていった。

「カマベはうまいよな」

との発言を聞いて、カマベってなんだよと心の中でつぶやく私。いや、カマベとは言ってなかったけど、こっちとしてはそんな感覚。

だいたい食べ物の話になるといつもこんなありさまである。こっちはもう、食べ物とか興味ない。いや、あるんだけど、もっとコアラのマーチの話とかして欲しい。

「パイの実のバニラ味ってうまよな」

と言ってくれれば喜びいさんで同意できるのに、ハモとかカマベとかその実在すら怪しいものの名前を口にするから、もうエンドレスでポカンの音が京都の空に鳴り響くことになる。

「○○っていう焼き肉屋がうまい」

などと言われた日にはそもそも焼き肉はうまいのであって、どこがうまいとか、そういうもんじゃないだろうと思ってしまう。こっちの認識はあくまで「焼き肉=うまい」という公式に終始してるわけであって「焼き肉A>焼き肉B」とか、そんな不等式ならってないもん。焼き肉を比べんなよ。

私はジャンクフードが好きである。いい肉とか、郷土料理とか、まるで興味がない。だって、ハンバーガーとかすごいおいしいし。懐石料理よりたぶんおいしいし。なんやねんあの四角い黒い箱にのったピンクのやつは。

周囲との温度差を感じ、私は少し疎外感を抱きつつ、コンビニによって部屋に帰る。ビニール袋からポテトチップスのダブルコンソメ味を取り出して食べる。

「パリッ」

ぜったい、ハモよりうまい。
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白昼夢
夜、暑くて眠れないと日中に白昼夢が見えてきます。きょうは私のそんな白昼夢たちを一挙紹介!


1、西の国エスタニア

きのうの夜、ケータイの送信メールをチェックするとそこには「スペインの西、エスタニア」という未送信メールがあった。その数時間前に私が書いたメモである。

思い返してみると、私はスペインの西、つまり世界の最西端にエスタニアという国があると考えていたのだった。

エスタニアは白い国だ。日本よりももっと白い。その白さは岩石と機械の白さ。エスタニアは世界でいちばんの技術大国なのである。

一年のほとんどは晴れで雨が降ることはまずない。彼らエスタニア人はのんびりしている。だからエスカレーターやエレベーターは、必要最小限のところにしかない。車は法律で禁止。そのかわり、共用の自転車や路面電車が充実している。

スペインから船で3時間ほどの国、エスタニア。いちどは行ってみたい国だ。


2、

子どもの頃、裸についての絵本が家にあった。

緑色で、麦わら帽子を被った男の子が出てきて、彼はいつも裸である。そんな彼を、主人公の女の子が見つけて、どうして裸なのかふしぎに思う。

しかしだんだん男の子と女の子が打ち解けてゆき、最終的には女の子も丘の上で裸になり風を感じる。という、だいたいそんなストーリーの18禁の絵本だったんだけど、裸っていいよね、って、この本のことを思い出す度に感じる。

きっと、裸だから逮捕されるってのはまちがっているんだ。見る人の脳がいやらしいのさ。


3、空と電線

私は小さい頃から電線がきらいで、どうしてこんなものを街中に張り巡らしてきれいな空や雲を隠してしまうのかと憤ることしきりだった。

青い空と白い雲は美しい。特に雲の美しさは群を抜いている。はっきり言って青空に浮かぶ雲に比べたらゴッホの絵もロダンの彫刻もクソである。なんといっても雲は大きいし純粋に白いし時々刻々と姿を変えてゆく。だからルーヴル燃やして空を見ようぜ野郎ども!

「アイアイサ! クラウド船長!」

こうして荒くれ者たちを束ねて暇さえあれば空を眺め、「おい、あの雲、ニンテンドー64みてぇだな」なんつってピーターパンを軽くあしらってウェンディーを毎晩抱いていた私だけれど、年を取って感覚が変った。おい、電線ってよくね?

憎しみが愛情へと変る。

そんなのラブコメの読み過ぎだろ? の一言で片付けていたのに、極端から極端への変化が起こった。電線。この忌々しい人工物がなぜこうも美しく見えるようになったのか?

街中に張り巡らされた電気線、つまり、電線。人々の生活を支える必要不可欠なエネルギー伝達ライン。その入り組んだ構造はもはや煩瑣の域を超えて軽く芸術品。水の結晶や蜘蛛の巣と似たものを感じる。けど、一見ごたごたしてるのがまたいい感じ。

そうしてみると電柱ってのも悪くないんじゃないか、なぁ野郎ども? へい、棒が等間隔に立ってるってのは芸術的でもありユーモアもあってサイコーッすよ船長。よし、なかなか分かる奴だな、貴様は宝の取り分を増やしてやろう。へへっ、ありがとうごぜぇやす。

こうして私はクラウド船長から一転、電線船長になった。マストの代わりに電柱を立てていることは言うまでもない。


4、学生運動2009

院で授業を受けていると教授によって訳の方針が異なるから困る。

「複数は『さまざまな』で訳すとたいていうまくいきますよ」

「『さまざま』はdifferentだから、複数は『もろもろの』で訳すんや」

「『もろもろの』なんて日本語は使わへんやろ。あかんわ。死ね」

ああもう、どうせ日本語の名詞は単数系も複数形もないんだから必要あるとき以外訳に出さんでもいいやろ! と叫びたいがそこは一学生の私、つい黙ってしまう。

しかし、教授によって訳に関して正反対をことを言われるのは非常に困るのである。おかげでこっちは授業によって訳し方を変えているのだ。いい加減にしろと。教授会で訳の仕方について相談して統一しろと、私は言いたい。

私は同志を募って大学を占拠したい。ヘルメットを被り、角材を手に持ち、大学前の通りを集団で練り歩きたい。「訳し方を統一せよ!」のシュプレヒコールでずっと歩いて行きたい。一週間ほどして東京に到着したら安田講堂占拠。三島ばりの演説を拡声器片手に行うのである。

「7時にニュースです。本日午後3時、東京大学の安田講堂が占拠されるという事件が起こりました。主犯と見られる男性はX大学大学院の‥‥‥」

ここで、全国のお茶の間から「東大生じゃないんかい!」のツッコミを頂き、私は満足して放水車のシャワーを浴びた後、刑務所へと送致されるのだ。

なにも後悔はしていない。
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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
映画を観てあまりの楽しさに「もう死んでもいい」と思ったのは久々でした。

いや、なんだろう? 「おもしろい」という言葉では足りなくて、日本語の全ボキャブラリーをGoogleってみてもこの新作ヱヴァを評する言葉が見つかりません。もしこの映画を芸能界でいうならダウンタウンや爆笑問題どころではなく明石家さんまか志村けん、いや、チャップリンくらいの位置にくるでしょう。

私はそれほどエヴァのファンだったわけではないのですが、今回の「破」でもう完全にファンになりました。

ネタバレしない程度に細かいことを言いますと、まず画一つ一つの美しさ、というかこだわりがジョロジョロ滲み出ていてこちらの涙腺もやられちまいそうなほど。なにげない電柱や電線、駅前の駐輪場、サラリーマンたちの出勤風景、最新技術を尽くした設備になぜかある古いドアノブ、そういったものがいちいちよくって庵野コノヤローッと心の叫びを発せずにはおれません。

それに台詞も凝っていて、日本語としての文法的ミスや煩雑さを厭わないチョイスで登場人物の心境をありえないほど若者風に表現してて庵野コノヤローッの叫びが館内にこだましそうになりました。ふつうの作品であれば定型的な言葉やなおざりな言葉で済ませてしまうこともありましょうけど、この映画ではあらゆる台詞が心に直結してくる感覚です。

具体的な台詞を書きたいのですがそこは未見の方のためにグッとこらえまして、抽象的に説明しますと、同義反復を含んだ言葉、があります。なにげないシーンで出てきますが、そのときの満足感を表現するのに非常に効果的に働いています。あとはある登場人物が気弱になっているシーンで同じ接続詞でいくつもいくつも台詞を連続させるという手法。これがもう、日本語としては美しくないのでしょうけど、人間の言葉として捉えると見事としか言いようがない。

他にも、もちろん映像の美しさや躍動感も信じられないほどテレビ版からアップしていますし、以前には描かれなかった細かなストーリー展開も描かれていてますます作品全体と登場人物に深みが出ています。そして、これは推測ですが、おそらくこの作品の魅力は若者にだけ理解できるのではないか、と思います。というのも、たとえば先ほど書いた駐輪場や電線の美しさ、あるいは文法的におかしな日本語、そして細やかな心境の描写などは過去の映画や小説では経験したことのないものですから。

私は基本的に映画はDVDでみればいいや、という立場なんですが、この作品はぜひとも映画館で大きなスクリーンに迫力の音響で鑑賞すべきだと思います。ぜひとも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観に、劇場へと足を運んでくださいませ。
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